理想ってのは現実に存在しえないから理想なんですよ
こんにちは、こんばんは、おはようございます、ごきげんよう。
もっと他に挨拶言葉ってないんですかね? 皆さん、今日も元気に生きていますか。
私は最近(といってもここ数年)、自分の体型がほとほと嫌になってきてまして、なかでも問題なのは腹です。腹。皆さんはご自身の腹を気に入ってますか?(笑)
子供がジムナスティック教室に通っています。そこですばらしい子供たちの努力を毎週目にします。鉄棒で回転したり、倒立したり、開脚前転・開脚後転したり、飛び上がって空中回転したり。私は遠巻きにベンチに座ってそれを眺めています。本当にすごい。ときどき失敗する子も見ます。当然ですよね、挑戦には失敗がつきものですから。それも含めてすごい。私は目が離せなくなるんです。彼女らの姿が美しすぎて。
それは何も体型のことをいっているのではありません。姿勢です。できない技を自分のものにしようとする挑戦する気持ち。失敗したとき、痛いだろうに。ときどき、床に体をうちつけている少女の姿もみます。
昨日は、子供が鉄棒で怪我をしました。私はそれに気が付きませんでした。途中、水休憩でこちらに走ってきた時、私に6回のハグを求め、珍しいなと思っていたら、目に涙がにじんでいました。顎を強打したというのです。「でもね、私が泣いたら先生やお友達が困ると思ってなんでもないように我慢したの」ちょっぴり泣きながらそう話します。
見てみたら、顎に大きく青あざができており、ぺろっと唇をめくると、なかも血が出て、けっこうな怪我をしていました。歯まではいってなかったのが幸いでした。
彼女は「戻るね」と言って、また練習に戻って行きました。
私は思ったんです。自分はこんなに頑張っていることが果たしてあるだろうかと。体と心と精神を使って頑張っていることが。確かに仕事はがんばっています。挑戦もしています。でもここまでやってるか? まだまだできる余地はあるのに、楽してないか?
そんなわけで、この腹をなんとかするために、まずは倒立をしようと思いました。変えたいターゲットがあるのに、それをそのまま放置しているのは努力の放棄にみえて、嫌になったんです。結果が変えられるかはわからないけど、努力することはできるはずなので、少なくとも自分にできる努力はしようよ、ということで奮起しました。
毎日断続的に5分でもいい。3分でもいい。そこからだ。
家の中の壁を見つけて、そこで、いざ倒立に挑戦。しかしうまくいかない。体重を腕2本で支えたこともほとんどないけれど、やってみなきゃわからない。一度目、失敗。両足を壁につけることができませんでした。二度目、またも失敗。壁にどすんという音を響かせて隣に迷惑がかかえることを恐れて、大きく蹴り上げることができない。三度目、またまた失敗。でもやり続けました。
倒立なんてやったの何年ぶりだろう。
先日、小栗旬さんの情熱大陸を見直していて、彼が空き時間に次の役作りでホテルで倒立をしている姿をみて、俳優というのはすごい職業だなと改めて思ったのですが、彼らは肉体と向き合う行為を、日常のなかでもっとやっているんでしょう。
何度やっても綺麗に倒立できず、うまくいかず、私は次なる方法を考えました。それは壁に向かって足をはわせて、上に、上にやって、最終的に倒立の形にするというものです。それは娘が教室でやっている様子をみて会得しました。こんな方法もあったんだ!
それならばできました。ものすごくきつかったです。
40代に突入した自分の体は、信じられないほどの重さでした。体重的な重さと、なまり的な重さと。
これを毎日続けるぞ。そう思った今日は第一日目です。あなたの挑戦していることはなんですか。よかったら教えてください。今日も、事故なく病気なく、健康でささやかな幸せに満ちている1日でありますように。
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