そんな足でも歩けないはずはない
お元気ですか。今日は一日、バタバタしていました。もう午後4時。時が過ぎるのははやい。。昨日から、プール腹問題(私命名)を解決するために倒立を始めたという話を友人にしたら、お腹を抱えて笑ってくれました。互いにテニスができないくらいに笑ったのは初めてだったのではなかろうか。。
目の前の人が自分の発言で涙を流す勢いで笑ってくれることって幸福なんですね。こうやって人はお笑い芸人を目指すのだろうか。私はたいへん幸福でした。
さらに、倒立に続いて、人生で一度も側転ができたこともない、と話すと、「私もそうだった。でも、側転できる人にコツを聞いたら、2~3回目ですぐにできた。あれはやり方を知ってるかどうかなんだよ」と教えてくれ、コツを聞いたのでシェアします。両手を同時につけること、その一点に力を込めること、そうするとさらーっと回れるらしいです。まだ試していないのでやってみたら報告しますね。
本日はバタバタしていたので、倒立二日目はまだなのですが、この日記をアップしたらやります。
ところで昨日、映画「ミッドサマー」を観ました。ちょうど、観たいと思う気持ちがやっと満杯になったんですね。この映画が公開されたときから気になっていたのですが、時が満ちていなかったので、時を待っていました。それが昨日だった。
いやあ、すごい映画でしたね。ご覧になった方、おられますか? ぜひともあなたの感想を聞きたいです。
48時間以内視聴は何度も可能なので、今晩もう一回観られたらいいな、と思っています。
ご覧になっていない方もおられると思うので、感想は控えめにしたいと思いますが、なかでも胸に深く刻まれたのは。
・~18歳までは子供の時代
・18歳~36歳までは巡礼の旅をする
・36歳~54歳までは労働の時代。
・54歳~72歳までは人生の師として生きる。
ここですね。
そして、人はサイクルのためにみずから死ぬ、ということを取り入れたコミューンであることも驚きましたね。ほかにもいろいろ驚いたことは多いのですが、積極的に自死を礼賛している映画というのは、初めて見たかもしれない。(ネタバレすみません)
ここのところ、私の心を捉えていることのひとつに、カルトやコミューンがあるのですが、本当に興味深い現象だと思います。そこでは、あなたが今もつ固定観念を捨てるよう洗脳され、そこから傾注して、信じこんでいくようになるのですが、そもそも、そもそもの話として、固定観念を捨てなければならないという固定観念が恐いな、と思いました。それって永遠におわらない歯車と一緒じゃん。塗り替えたい欲求ともいえる。それが新しい宗教を産み出す人間の貪欲さなのだろうなあ。
教祖になりたい願望って、けっこう多くの人にあるんじゃないかと思うのですが、いかがでしょうか。
一方で、この映画は、マンネリ化した彼を捨てる映画とも評されていますが、マンネリ化って生きていたら避けられないと思うんですね。マンネリで捨てていたら、何度捨て、捨てられることになるだろうか、とも思うのですが、そこの爽快感を味わう人も多いそうで、なるほど、人はそれぞれの感想をもつ生きものだよなあ、と思ったりなど。
そして、芸術というのはなんでもそうなのですが、自分の心がそれを求めている時に、観たり、読んだり、訪れたり、味わったりすると、もっとも効果があるので(浸透度が高いです)、やはり「その時をとらえる」という力が非常に肝要だと考えます。
己の心に響く言葉を吐く人、己の心が欲している情報を発散する人、己の心にしみわたる何かを持っている人が、なにをいうのか、なにを紹介しているのか、そういう存在をもつと人生は俄然色合いの深みが増していきます。
私にとって映画の師は、元職場のある上司です。Sさんの芸術をみるセンスって私はすごくわかるし、好きなんですね。Sさんがいいと言ったものは、心のメモ帳にメモして、時が満ちたら、それに触れるようにしていると、心が自然と満たされていくんですね。そういう師をもった自分を幸せだなあと思います。Sさんに会えただけでも、元の職場のその部署で働いていた意味があったと思うほどですね。
というわけで、あらゆる場所に師をもちましょう。きっとあなたを助けてくれます。私も誰かにとってそういうものに一瞬でもなれるように、なれるような文章を書いていきたいと思う今日この頃です。
くれぐれも御身ご自愛ください。また明日。
平日更新しますが、土日は日記更新はお休みしますので、どうぞご了承ください。ではでは。
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