こどもの頃の心を思い出した
こんにちは。こちらのニュースレターで初めての記事を書いていて、やや緊張していますが、ここでやってみたいと思っていたので、それが本日かなって嬉しいです(タイトルがずっと決まらなくてなかなか走り出せなかったの)。
もともと、theLetterを知ったのは、写真家でエッセイストの植本一子さんがやってらっしゃったからで、noteにかわる(?)もの出現と思って、心躍りました。彼女にはずっと注目しています。
ここでは情報を発信するということを主眼に置くのではなく、わたしの「脳内を書き留めるところ」として書いていこうと思います。イメージは朝起きて、まずここで書いて、仕事にいく、というようなイメージです。ウォーミングアップ的な場所としてここを活用したいと思っています。ジョギングかな、まさしく。
私は週に一度テニスをしているのですが、その際、車からラケットとボールを持って降りて公園を横切ってコートに向かい、準備運動をします。仲間とおしゃべりしながら。それが私にとってのテニスをする前の儀式です。そこで心と体をあたためる。theLetterは、そういう場所にしていけたらな、と思います。
最初は無料で始めます。期間はまだ決めていません。読者がついてくださったら、有料化しようと思います。
さて、今日のトピックは「こどもを育てながら過去の自分を思い出す」について。この写真は、まさしくおまるですが、これはこどものトイレトレーニングのときに買いました。なかなかおむつがとれませんでしたねぇ(遠い目に)。いったい自分はどのようにトイレでできるようになったのかを思い出そうとするんだけど、思い出せない。覚えていないんです。でも一方で、瞬時に過去の自分に帰ることもある。例えば、こどもが学校の友達に「嫌な言葉を言われたとき」のこと。かわいくないね、名前変だね、でもなんでもいいのですが、ともかく自分を否定される言葉をはかれたときのことです。そのときの感情は一瞬で思い出せる。こどもの表情を見た瞬間に、もうタイムマシンで移動したかのように、過去の「そのとき」の自分を思い出せる。恐いくらいにはっきりと。
このように、子育てって過去の自分を思い出す作業と同義なので、ときどきつらいですね。忘却の彼方に放っておいたはずなのにひょっこり顔を出すからね。
じゃあ、そのときにどうしたらいいか。
私は文字化することで、客観視し、もはやそれをひとつのネタにしようと試みます。文章を書くってそういう浄化作用があります。そして、文章として読むと、なぜか笑えてくるし、それでもいいじゃん人生だよ、と思えるから不思議。
だから皆さん、日記って意味ありますよ。
公開してもしなくても、ノートに書いても非公開でも構わない。ただ、それと距離をとって見る行為というのがきっと意味があるんです。生々しいまま抱えないってことです。
いつだったか、人生を幸福にするただひとつの方法として聞いたのは「眠る前に感謝の日記を書くこと」だと教えられました。英語で、Gratitude journal(感謝日記)というそうですよ。なるほどねぇ。確かに、生きていること、家族がいること、友人がいること、おいしいごはんを食べられたこと、仕事があること、そういう、いわば「当たり前」と思えることに、ひとつひとつ感謝すると「それは当たり前じゃなくなる」。それが大事なんでしょうね。ひとつずつを奇跡と思えば、きっと毎日きらきらするもんね。我足るを知る効果です。
昨日、作家の山本文緒さんが膵臓がんでお亡くなりになったことを知りました。その報道が出たのはさらに数日前だったのですが、気づかなかったのです。58歳。衝撃でした。インスタグラムをフォローしていて、新刊を出されたことや、テレビに出られたことや、おいしいお菓子を食べていることは知っていましたが、病と闘っていることは知らなかった。人のほんとうなんて、結局知ることはできないんだなとも思ったし、最後まで毅然と生きられたのだなと思うと、胸がつまりました。
人生は有限なのだから自分の納得のいく時間の使い方をしてね、それがせめて自分に残されている自由、だとも感じました。
今日も生きている。おいしいお茶を飲めている。愛する家族がいる。挑戦したいことがあって挑戦中である。ごはんをおいしく食べられている。
ほんとありがとうありがとうありがとう。
ここの日記は「感謝日記」になるかもしれないなぁ。
皆さん、どうぞ毎日を自分の好きなことに使ってください。笑っててください。だったらそれが思わぬところで終わっても納得できるはずなので。
今日もすばらしい一日を。いってらっしゃい! 私もがんばります。
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